ラッキーの狂い咲き☆ドラァグロード 第三十九話

皆さまごきげんよう。

好運毛だらけ猫灰だらけ、お尻のまわりは…止めときます。ラッキー・リーです。

花粉症のツラいこの季節、皆さま如何お過ごしでしょうか?

私は例年通り、くしゃみを連発しながらも、この時期ならではの春の味覚を楽しんでおります。


先日は、Bar Piece のご近所さんである『デイ・グーフィ』さんにお邪魔しました。

ここ、実は私の友人である、素敵なナイスガイのやっているトラットリアなのです。

おいしい手打ちパスタと春野菜を頂いてまいりました。


また、我が家でも庭で摘んだ土筆が食卓に上り、ふと周りを見渡せば、道端に沢山の野花が咲き、春の訪れを実感しております。
私の好きなれんげ草のつぼみも可愛らしい顔を出して…と思いきや、これはつい最近知ったのですが、私が長年れんげ草のつぼみだと思っていたのは「ホトケノザ」という全く違う種類の花だったのです。
何十年もかけて答えに辿り着く、何だか間の抜けたお話かもしれませんが、私はひとつの花で、二度楽しませてもらったような得をした気分であります。
と言うのも私の人生は、失敗と出直しの連続で、何をするにも他人様の倍の時間を要してきました。

今となってはそのお陰で、後の喜びも倍になっていたと感じられます。

ですから今回の事も、またいつもの私のパターンだな、と笑ってしまいました。


では、実際にどんな具合の出直し人生であったのか、明後日に新元号の発表を控えた今日から、『平成』の元号が発表された頃まで遡ってみます。
当時、私は二度目の高校一年生でした。

愛徳高校の加藤君と中間君のように留年したのではありません。


この前年、プロレスラーになる目標を持ってレスリング部のある高校に入学していたのですが、練習のキツさや上下関係や雑用やらに、すぐに嫌気がさしてしまい、部活動だけでなく学校まで逃げる様に辞めてしまいました。

挫折以下の、云わば脱走兵だったのです。


行く末を案じた両親の勧めもあって、翌年に四年間の定時制高校に入り直し、そこで平成時代の始まりを迎えました。

そして、一年遅れの四年間ですから、通算で五年かけて高校を卒業しました。

四年生の時には二十才になっておりましたので、成人式でスーツを着て、翌日は学生服に逆戻り、なんて事もありました。


とは言え決して苦学生だった訳ではなく、目標も無いままに何となく過ごしておりましたが、さすがに二度目の高校を辞める訳にはいかないな、という気持ちはありました。

これが私の出直しの始まりでした。


高校卒業後はわりと平凡に歳を重ねていき、根性も無い自分がプロレスラーなんて最初から無理だったんだよ、と冷めたふりして納得したつもりでいましたが、四十才が近くなった頃、不思議とまたレスリングがやってみたくなりました。

そして、同い年の素晴らしい先生に出会ったのです。


私はそれまで、十五才で山を登るのを逃げ出してから、他の道を歩いてそれなりに成長したつもりでいましたが、再び現れた登山口を前にして、二十年以上かかって山の周りをぐるり一周して戻ってきた事に気が付きました。

またしても二度目のチャンスを与えられたのだから、今度こそはとことんやり抜くしかありません。


そして四十才になった時、通常の倍で、これが私の本当の成人式だな、と思い至ったのです。
以来、細々と、ではありますが、先生に師事して勉強を続けております。

そんな日々の中で、何がきっかけか思い出せないくらい、ごく自然にドラァグクイーンへの興味が生まれてきました。


私の中で、レスリングとドラァグクイーンは何ら矛盾しません。

これがきっと私の電車道だったのです。


ライラカンパニーの門を叩く時、年齢に対する不安もありましたが、これも倍の年月をかけてきたと思えば、まだまだ中身は実質二十代前半じゃないかと開き直っております(笑)

私にとって長い長い平成時代の全てが、出直しやり直しの連続でありましたが、気がつけば私の部屋ではレスリングシューズとハイヒールが同居している。

これはきっと出直しではない新しい景色です。


いつも再挑戦の機会と良き先生に恵まれ、今またライラさんとライラカンパニーの皆さんに出会った。

こんなに好運な事はない、だから私の名前はラッキー・リー。

平成の次の新しい時代も、レッスル&クイーンで歩き続けます。


来月は、BarPiece に毎週水曜と土曜出勤します。


そして明後日はいよいよ、M.I.L.Fデビュー曲『Who am I …?』のMVが公開されますね!

私のビフォー&アフターがちらり見られるかもしれません。


乞うご期待!


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